作成:2001・01・14





「面白くもない描写のMレンズやAレンズのなんかよりはタクマーレンズを!」とこの35mmF2を付けたSPは云ってます。

 今、思い返すと最後にSPを使ったのは1977年でした。そのころは既に、SPに対しては懐かしいなぁ〜という思を持つようになっていました。
 物理科の友人が、実習で作ったとかいうセンサの信号を、シンクロスコープで撮影するのに使ったのがSPでした。だいたい、僕のお宝のテレダインフィルブリックの高速OPアンプICを幾つもまきあげていって、基板をエッチングしろとかこき使い、その上、測定のお手伝いですからやってられません。こちらは、あくまでもお手伝いですから、そのSPを持ち出しては、構内でネイチャンフォットを撮影したりしてサボっていました。

 若いころは、SPというのはあまり興味のないモデルでした。なぜかというと、現在のkissのようにポピュラーで、カメラ通の中には一眼レフじゃないという人さえいました。登場した時こそTTL測光はもてはやされたそうですが、Sマウントで絞込み測光というのは、既に70年代には時代遅れで、ESの登場はやっと開放測光になったかという印象でした。
 ファインダーも暗めで、ピント板はマイクロプリズムですが、小さくてあまり見えはよくありません。しかし、SPを使った記憶はたくさんあります。この、独特の横走り布幕シャッターの音は、低速側なら音だけでだいたいのシャッター速度が判断できます。

 このSPとの馴れそめは、ごく最近です。SMCマクロタクマー50mmF4とともに標準レンズ付きのSPをネットオークションで譲って頂いたのです。全部で福沢先生と夏目先生おひとりずつという格安なお代でした。このボディと標準レンズは、そのまま撮影には使えませんと云われたものです。トップカバーが外せず、しばらくそのままにしていたのですが「自分でできるPentaxSPの修繕」のページでご紹介したように、私の好奇心のおもむくままの修理の教材としてしても役目を終えて甦生してくれたものです。そこで、今回の幕内昇格となった次第です。
 とはいえ、良品と変えるべき部品はそのままなので、いつまた臥してもおかしくはありません。その時までに撮影できるフィルムが何本なのかは判りません。前のご主人の道具としても充分に働いて、私の修理の教材にもなってくれた働きものです。もちろん、機械ですから、交換する部品さえあれば ・・・。

 
この取り扱い説明書(500円)は9901版で、最近買ったものです。
この他に、レンズのリアキャップとボデイキャップ(各150円)がまだ買えます。
付いているアクセサリーシューは、オリジナルではなくすこし後のものです。

 外形・寸法の違いからくることを別とすれば、SPの操作感は、スローシャッターの時にガバナの音がすることと、レリーズの半押しで入るスイッチががないのでトリガ感がつかみ易いといったことが違うぐらいで、ESやESIIと同じです。昔は、決定的瞬間を狙うスチールカメラはこのトリガ感がとても大事であることはだれも知っていたのですが、ワインダーとシーケンサーをカメラに搭載して、どのメーカーもきれいさっぱり忘れてしまったようです。

 1964年発売のSPが原型のバリエーションモデルは、露出計のないSL、ES(ELECTRO SPOTMATIC )、ESII、SP-F、SPIIの他に、輸出向けのES、SPIIa、SP500、SP1000といったたくさんのモデルがあります。約10年間製造されたSPそのものも、外観や操作感からはほとんど伺い知れませんが、3モデルに大別できるそうです。

 SPが写真の普及に果たした功績というのを数字や理屈で説明することは可能でしょうが、若い方にエモーショナルな理解を頂くのは難しいと感じています。知らない話は拒絶することしか出来ない若い人もいますので、SPやタクマーレンズの良し悪しなどの話はなるべく控えています。私だって、アサヒフレックスの話などは閉口します。

 ある観光地で、年配のご夫婦がボロボロのケースから大事そうにピカピカのSP取り出して、記念写真を取り合っている光景をみて、羨ましいなぁという感慨を覚え、そのSPに対して姿勢を正して敬礼したい気持ちになりました。これが、私の見た現役で可動している最後のSPでした。それからもう何年も経ってしまいました。



 吊金具の三角リングは、アサヒのものではなく、手持ちのストラップのものです。黒い樹脂製のガードは、ストラップがよじれずリングとボディの擦れも防げます。これは、ニコン製のものを買いだめしておいたのですが、残りも少なくなってしまいました。




 

   


 更新日 :2002・02・24.