作成:2003・06・02




 今まで、S2やS3は、アサヒのメカニズムの変遷に興味を持って研究品を分解したことはありますが、使おうと思って手入れをしたことはありませんでした。SPに比べて実用性も低く、手間をかけて最後まで手入れをする意欲が沸いてきませんでした。

 しかし、自分のものではなくとも、若いころの愛機とか思い出深いものとかの事情を伺ってしまうと話は別です。このS3は、会友のKanさんのもので、新聞記者をされていた身内の方の形見とかで、とても捨てられるものではありません。使うことの出来るコンデションを取り戻すためのご協力させて頂くことになりました。


ダイアルの文字や矢印には、ペイントをさしました。白は、ちょっと黄を混ぜた白にしています。


 送って頂いたS3は、多くのことを語ってくれました。酷使されて、汚れてくたびれ果てていて、シャッターは鳴きが出るだけでなく、正常には切れませんでした。しかし、分解しなくても、こまめにオーバーホールされてきたものであることが判りました。
 分解してみて、もっとびっくりしました。その、オーバーホールの回数です。機内の確認できる書込みだけでも、1963年から67年まで、ほぼ毎年オーバーホールを繰り返し、間をおいて74年に出していることが判ります。67年までは、メーカー純正ではないようですが、同じ職人さんが手がけています。
 このS3は、取材に使われていたものとかで、毎日のように平和な地方の日常の出来事を撮って来たのでしょうね。外観のスレやアタリの修正跡は、仕事に使い込まれた勲章です。浸水という朱記も残っていて、錆び染みの痕跡もあります。
 74年は、もはや、S3が実用の道具として通用する時代ではありません。(アサヒがKマウントになったのは75年) おそらく、使うことが無くなっても捨てがたい愛着があって、オーバーホールに出されたのではないでしょうか。

 今回は、部品の交換をしないように心がけて手入れしました。痛んだパーツだからといって、安易に交換してしまうと別のカメラになってしまいます。交換したのは、シャッター幕のほかは、巻上げレバーのビス2本、折れたミラーの復元スプリング、断線していたシンクロの配線だけです。

 このS3と勝手な会話をしながら、このS3のプライドを損なわないように手入れをしました。当時の調子を取り戻し、操作感もまずまずだと思います。




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